母のラストラン

嫌いだった母が肺癌になった。告知から5ヶ月で旅立ってしまった母へ、今の思いを綴ります。

最後まで母親として走り続けたお母さん、ありがとう。

あれから間もなく6年になります。
いただいたコメントにお返事を書かせていただいていると
その後私に起こったことも残しておきたいと思い
投稿させていただきました。
こんな人生もあるんだ…と思って、読んでいただけると幸いです。

hinaさん、読んでくださりありがとうございます。
もうすぐ春だなぁ、と思う暖かさに触れると、やはり当時のことを思い出します。
hinaさんのコメントを読ませていただき、医療従事者の皆様が懸命に尽くしてくださっているにも関わらず、医療が進歩している中にあっても、私と同じ思いをされた方がおられることは、とても残念でなりません。

母が旅立ってから2年後、今度は同居していた義父が癌になりました。もう治療方法はない、ということで入院することができず、自宅での介護が始まりました。あまりに突然のことで、訪問診療も訪問看護も、何も決まっておらず、歩けなくなってベッドに横たわる義父を見て、これからどうしたらいいんだろうと、途方に暮れていたことを思い出します。
この時、母の闘病中のことを振り返り、義父のかかりつけ病院のソーシャルワーカーの方に連絡しました。レールが敷かれていくように、在宅介護体制が整っていきました。
義父は訪問入浴で大好きなお風呂にも入れていただき、長男である主人に見守られ、在宅介護が始まってから16日後に旅立っていきました。

別の場所にも書かせていただきましたが、母の介護をしたことは母の私への最後の教育であったのだと思います。母のことがなければ、どうしていいか途方に暮れたままで、あのように義父を送ることはできなかったと思います。
本当に母は偉大ですね。

たくさん後悔しました。でも、今は、あれがあの時の精一杯だったんだと、そう思えます。
思い出しますよね…。そしてまた涙も溢れますよね。まもなく6年が経ちますが、涙が出ます。
でも強くなったように思います。
ある時思いました。「無条件の愛情がこの世からなくなった今からが、私の本当の人生が始まる」
形なきものを残してくれた母に次に会えた時には、あれから頑張って生きたことを伝えられる自分でありたいと思っています。

hinaさん、これまでコメントくださった皆様、読んでくださり、ありがとうございました。







読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。

母が亡くなってから、どう気持ちの整理をつけていいかわからず、
でも、このまま、自分の中にだけしまっておくことも出来ず・・
ブログに書かせて頂きました。

父や妹、私はそれぞれを同じ思いをし、またそれぞれを心配し、本当の辛さをお互いが
口にすることが出来ませんでした。
主人や友達、話せば何時間でも、聞いてくれると思います。
でも、身近な人には話せませんでした。
今も泣いていることは、話せません。

ブログを書いて、読んで下さる方がいる・・私の気持ちを聞いて下さっている方がいる・・。
不愉快な思いで読まれた方もあるかもしれませんが、
聞いて下さっている(読んでくださっている)それだけで、自分の中で
気持ちが落ち着いて、また、書くことで、現実を受け止めていく事が出来てきました。

拙い文章を読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。

大切な家族と会えなくなってしまうことが、これほど寂しく辛い事とは
母を亡くすまではわかりませんでした。
言葉にできない人の思いを、そっとわかろうと努力する人になりたいと思います。

母のように、病院に通いながら、手遅れの状態で見つかるようなことだけは
なくなってほしいと願い、最後の更新にさせて頂きます・・。

皆様、読んで下さり、ほんとうにありがとうございました。


ブログの場を提供して下さったlivedoor様、ブログ村様、ありがとうございました。

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母と会えなくなってから2カ月半が経った。

四十九日までは、母に会いに通った。
父の事もとても心配だった。
遺影の前には、飲みかけのペットボトルが毎日置いてあった。
コーラの時や、カルピスソーダの時や・・それと一緒に食べかけのおかきの袋・・。
遺影と向い合せに、座椅子がある。
父は
「お母さんと、今日はこんなことがあったんや、と話すんや・・。
けど、何にも言わへんわ・・。」
と話した。
私も「お母さん来たよー。」と話しかけ、花の水を替え、
お線香をあげ、読経して・・。

今は、2日置き位に通っている。
父は母の好きな曲を流し続けた。
それは、今も続いている。
私たちも、母のいる部屋に音楽が流れていると
安心する。

母が居る頃も、慌ただしく来て、慌ただしく帰っていた。
いつも
「あわてんと、気を付けて帰りなさいよ。」
と見送ってくれた。・・車が見えなくなるまで。
今も、帰る時話しかけると、同じように
「気を付けて帰りなさいよ。」
と言ってくれている気がする。

この間、母がお世話になった病院の前を通った。
通るのを避けていたのに、バイパスが混んでいて
一般道に降りたら、その道に出ることになってしまった。
病院に近づくにつれ、涙がこみ上げてきた。
あっという間に過ぎ去った、この5カ月のこと
母が待っていると、病院に通い続けた5カ月のことが
その時の思いと重なって一気に溢れ出した。
でも、今日もたくさんの人が、この病院を訪れ
希望や絶望の狭間で、病気と闘っている・・。
医師や、看護師・・たくさんの人たちが同じように共に
闘ってくれている。
病院の真横を通り過ぎる時
「ほんとうに、母がお世話になり、ありがとうございました。
最後を看取って下さり、ありがとうございました。
闘病されている方に、どうかどうか希望ある治療が見つかりますように・・」
と願い通り過ぎた。

妹は母のいない誕生日を迎えた。
母のいない夏が来て、母のいない秋来る・・
そしてあの5カ月と同じ季節がやってくる・・。
覚悟をして通り過ぎなければいけない季節が来る。

お母さん、今、どこにいるの?
いつまでも悲しんだらだめだよね。
でも、もう少し会いたくて泣いてしまう日々は続くと思うけれど
お母さんはもう、次の場所に旅立ったから、
頑張らないといけないね。
お父さんは頑張ってるよ。
黙々と頑張って、生きているよ。
そして、今まで言わなかったようなことを言い出したのは
それはお母さんの声だね。
お父さんの中にお母さんが生きている。
私の中にも、妹や、子供たちの中にもお母さんは生きている。

お母さんの子供にしてもらえてよかった。
またいつか、会える日まで、その時は
「あれから、頑張って生きたんだよ。」と正々堂々言えるように
生きていくね。
お母さん産み育ててくれてありがとう。
頂いた命、大切にします。
お母さんの子供でよかった。ほんとうによかった。
たくさんの大切な事、教えてくれてありがとう。
そして
最後まで、母親として走り続けてくれて、
お母さん・・・ありがとう。
お母さんのラストラン、忘れないよ・・。

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